思ったこと・雑記

リアルな人間関係ではなかなか吐けない事を書きなぐる

相手の価値観を考えずに自慢しても自慢になすらないらというお話

学生時代ある老教授のゼミに所属していた時のこと
その老教授のゼミというのは簡単に言うと外れのゼミで
人気のあるゼミの専攻に落ちたやつか端からゼミなんてやりたくも無いし興味すら無い
自分のような学生しか所属しないようなゼミだった。

なぜ人気がないのかといえば
教えていることがまあ時代遅れというか何の役にも立たないようなしょうもない内容で
更に言えば
読み手のことなど一切考えず誰が買うんだ?と首を傾げたくなるような
その老教授の書いた何千円もするような高い教科書を買わせるそんなゼミだったこともあり
ホントに不人気なゼミだった。

まあそんなゼミだけあって学生も全くやる気がなく
ある日そんな生徒たちを見かねて
その老教授が自分の教え子の自慢話をし始めた

自慢話を要約すると
この老教授の授業を熱心に受ければ
会計学が基礎からみっちり学べてその結果どんな企業へだって就職できると言った内容だった。

ではその企業とはどんなに素晴らしい就職先なのか?

そうとう煽ったあとなので生徒の期待値も最高潮に達した時に出てきたのが

・・・地元の地銀や公務員

おそらく地方の中堅大学で教鞭をとっている教授やその周りの常識では
とても凄いというかさぞ生徒が恐縮するであろうと思ったのかもしれないが

正直そんな夢のない話しをしたところで10代後半の若者にはなんの訴求力もなく

聞く側の反応があからさまに悪くなり
さすがの教授も生徒の雰囲気を察したのか突然
いかに地銀は凄いのか挙句大銀行や大手企業批判までし始めたのだ

結局のところその老教授の筋書きでは
老教授のゼミを熱心にやればあの(老教授のなかで)人気就職先である地銀に入れる
よし僕達も熱心に老教授の授業を受けなきゃ

と持って行きたかったのだろうが
正直そのインセンティブでは10代後半の若者にはなんの魅力もなく
ただただこのジジイは何自慢してんだ?なんも羨ましくねーしばかじゃね?となってしまった

つまり自分の常識でいかに自分はすごいんだと威張ったところで
相手の価値観を踏まえなければどんな自慢もなんの効果もない
へたをすればこの老教授のようにただ馬鹿にされるだけという話

フランス人が内心アメリカ人を歴史がないと言うが日本人はどうだろう

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最近意外なことに気がついた


と言うのも

 よくフランス人は心の中ではアメリカの事を歴史がない国だとバカにする傾向があるなどとよく聞くし


なんとなくフランス人なら心のなかではそう言った事思ってそうだし
その反面現実問題国としてはアメリカには勝てないので

負け惜しみ半分に言っているのだろうななどと思っていたが

 

よくよく思い返してみると当の日本人も
保険問題・銃規制・肥満問題などのニュースがあると

なんだかんだアメリカ人は馬鹿なんじゃないかというイメージのもとで
若干上から目線で語られることが多いことに気がついた

 

例えばアメリカの肥満問題とかでも
なんであんなにでぶになる前に気が付かないんだとか
あんなアホのようにアイス食ってればでぶになるとかなんで気が付かないんだとか
連中は日本人のように繊細な和食のような文化がないただ肉焼いて食ってるだけだなど

 

これは文化面でも言えることで

 

例えば映画なんかだと
すぐに爆発でUSAUSAと叫んでるみたいな言い方をする人や
お金をかけられる洋画にはかなわないが繊細さで言えば邦画の方が上だのような事を言う人がいるが
これもある意味アメリカ人は単純だといった前提に立って上から目線で語られている気がする

 

映画に関しては
そもそも金のかけられるハリウッド映画に勝てるわけがないとはよく聞くが
その実制作費の関係ないシナリオやキャスティングはどうだろうか?

 

正直伏線回収の見事さやストーリーの起承転結その他とっても近年の邦画よりも余程ちゃんとしているし


極稀にお金をかけた邦画大作を見たところ邦画の場合お金を掛けたからと言って
必ずしも良い作品がとれているのかは甚だ疑問だ

 

つまり予算を免罪符にして実際のクオリティーの低さに向き合ってない気すらする

 

話が飛んでしまったがいずれにせよ
この構図は最初に話したフランス人がアメリカ人を上から目線で見ていると大して変わらない構図だし
結局のところなんだかんだ言ってもアメリカというパワーの前では正面から太刀打ち出来ない
そこへ対するヒガミが込められたなんともダサい光景ではないかとおもえる

 

更に言えば人(ここではフランス人)の姿はよくわかるが

自分が同じような事をしていても意外と気が付かないもんだと思った

 

地方でソフトヤンキーになりきれない感性の人は大変だというお話

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最近広告代理店がソフトヤンキーという言葉を流行らせようとしているらしい

個人的には今まで彼らが流行らそうもしくは流行らせた女子会・草食男子云々
のワードよりもよっぽどしっくり来る

 

なぜかといえば自分はこれらの人々中で育ち身近に見ているからだ

 

自分は地方出身者なのでこういった人々の中で育ち友人も多い
だから言葉としては?が付くが実態は今の地方の若者の実態を上手く掴んでいると思う

 

自分の経験で言えば地方の若者の大部分がこのソフトヤンキーと言われる層で
それ以外は本当に少数派だと思う。

 

自分の過去を振り返ってみても
中学~高校位から何故かヤンキーに憧れる若しくは一目おく人間が増えていき
高校になって原付き免許が取れる年齢になるとこぞって原付きを購入し
マフラーその他無駄な改造を繰り広げる

 

ヤンキーにどの程度被れるかは人それぞれだが
かなりの割合が大なり小なり意識する

 

そして無事に大学に入ったり就職すると
今度は個々人の自由になる目一杯のお金を車につぎ込む
こんな人達を沢山見てきた。

 

当時周りはそう言ったノリで全力に盛り上がる中
自分はなにか違和感を覚えつつ
さすがに自分だけ違うとは言い切れずなんとなく合わせて生活していた。

 

つまり趣味が合わなかったのだ

 

東京で生ま育った人間には信じられないだろうが
そこで出される話題の大半はタバコ・車・パチンコ・風俗ばかりなのだ
国産車が通ればその車の車種や年式ある程度のグレードを全部言い当て
それで話が盛り上がる

 

聞きもしないのに誰それはなにがしという車に乗っているとか
ああ〇〇(車種)に乗ってる誰それねなど
信じられないレベルで車が生活にコミットしていたり

何かといえばヨサコイソーランの亜種のようなイベントの話題

 

想像できるだろうか?それが会話のほとんどなのだ

 

特に大学進学である程度のレベル以上の生徒
主にソフトヤンキーとはベクトルの違う層は進学で地元を離れる
その後に残るのはこの手の層ばかりになりより傾向が顕著になる

 

自分の地元は地元進学率8割といった非常に特殊な地域で
東大若しくは早慶レベルでないと他の地方に出してくれないような地域性もあり
仕方なく地元の大学に進学したものの

 

地元に残った層の大半はこの手の人間なのだ


残った当初はそこまで感じなかったが
日増しにこの手の層が大半だと気づいた時には

なんとも陰鬱というか閉塞感を感じたものだ


正直その手の趣味のない自分は仲間に混じりながらも

適当に話を合わせたりしながらり過ごしていたのだが
有る時にふと気がついたのだ

 

そうだ自分は今で言うソフトヤンキーは趣味じゃないし理解できない
自分はこの地方の風土とは水が合わないと

 

それ以降色々頑張りなんとかソフトヤンキー天国ともいうべき地元を離れたが
もし離れていない若しくは離れられなかったらと思うと恐ろしいと思う

 

つまり何が言いたいかといえば
地方においてはソフトヤンキー最大勢力
そして地方の構造自体がその最大精力である彼らに合わせて作られている
よってそれしかいないと思われがちだが

すべてが全てそう言った層だけではなく


かつての自分のように

そう言った物に違和感を感じる人々も少数とはいえいると言うこと
そして地方=ソフトヤンキーしかいないみたいな紋切り型の思考ではなく
少数といえどそうではない人がいて
日夜違和感を感じつつ生活をしていると言う事も忘れないで欲しいと思い記事を書いてみた